■第四回 相互理解
●人生に対する「基本的構え」
ここまで自己理解--他者理解--自己表現と続いてきたわけですが、これまでのステップそのものが、「相互理解」へのプロセスと考えていただいてよいでしょう。
自分を理解し、自分とは違う他者に気づき、相手を理解しながら、自己を表現する、それが相互におこなわれて、「相互理解」が生まれます。
これはすなわち、人と人が「コミュニケーション」をするということでもあります。
ところで、コミュニケーションとは何ですか?と問いかけると、答えはさまざまです。
コミュニケーションそのものの概念についてすらそれぞれの人の認識が違うのですから、それを実践して相互に理解することは簡単ではありません。
他者とのコミュニケーションを考える際、これは「自己理解」[他者理解]の項にも通じることですが、自分の人生に対する『基本的な構え』を認識することも効果があると思います。
人は成長過程でさまざまな経験を通して「自己イメージ」や「他者に対するイメージ」を形成します。
たとえば「お前はダメだ、嫌いだ」と否定的に投げかけられて育てば、自然に「自分はダメな人問だ。I’m not OK.」という自己イメージを形成します。
自分と他者を[OK]ととらえるか「OKでない」ととるかは人生に対する構えが大きく異なり、対人関係の持ち方に大きな影響を与えることになります。
「構え」は「態度」といいかえることができます。

あなたはどんな感覚で日々を過ごしていますか。
まず自分の基本的構えをとらえましょう。
そして相手にも構えがあることを感じることです。
相手の腹の中には自分と違う価値観があるのだということを認識することがコミュニケーションの最初のステップです。
また前号で述ベたように、より良いコミュニケーションをして相互理解にいたるためには「I’m OK, You’re OK」というアサーティブなとらえ方をめざすことが人間関係をよくするひとつの目標にもなるでしょう。
●人間関係は回避できない
「人は自分を好きになってくれる人を好きになる」。
自分に好意を持ってくれる人に好意を持つ、これが人問関係の絶対原則です。
しかし「ウマがあう」などというように、なんとなく合わない、なんとなく好きになれないということもあります。
どうしても嫌いだということもあるでしょう。人間とはやっかいなものです。
こんな場合、コミュニケーションは成り立たないのでしょうか。
この問題についてハイダー(Heider)のバランス理論を引用して考えてみます。
ある事象(X)に対して、自分(P)と他者(O)の考えや行動が異なっている場合、Xに対して共通性や類似性を見つけるために、まず相手を認めたり、関心を持つことでバランスをとっていく、という考え方です。
たとえば自分も相手もサッカーが好きな場合、いやが上にも二人の間で話は盛りあがります。
また二人とも嫌いだったら、「どうしてあんなに夢中になるんだろう」という具合に、話は合います。
しかし、相手がサッカーが好きで、自分が嫌いなときにはどうでしょう。
そこでコミュニケーションを止めてしまいますか?
この場合、自分はあまり興味ないけど「どうしてそんなに好きなの?」とか「どこが面白いの」「カズという選手ほ知っているけど」・・・というように相手を認めて少しでも関心や興味を持つことで、話を進めることはできます。
これまで述べたように、コミュニケーションは双方が受け手のことを考えてキヤッチボールをしていくことが大事なのですが、人間関係が、どうしてもうまくいかないことは往々にしてあることです。
相互理解ができない、どうしてもしたくない。
そんな人問関係を続ける場合、これまで述べたようにさまざまな方法で努力をして改善しようとすることも、止めて新しい人問関係を開拓することも、いずれも傷みを伴います。
つまりリスクを負うことなのです。
たとえば、同僚や上司とどうしても合わない場合、改善しようとしてまず自分が努力するとします。
しかし、相手は分かってくれないかもしれません。
あなたの努力は無駄になるかもしれないというリスクがともないます。
また、もうだめだと同僚や上司との人間関係を止める、つまり会社を辞める場合も今後の仕事の手当てや生活の上に大きなリスクを負うことになります。
つまり人間関係の問題とは、リスクを回避することではなく、どちらのリスクを選択するかという問題です。
対人関係で悩んだとき、止めるも続けるも”リスクテイキング“なのです。回避はできません。
さて、それでも人は他者との関わりのなかで生きていきます。
まず自分自身に気づき、相手を受け入れたり、相手に受け入れられたりして相互理解を深め、よりよい関係を築いていかなければなりません。
もしもコミュニケーションによる相互理解に理想型としてのゴールがあるとしたら、それは心理学的に『共有』という状態で表現されます。
共有とは『自分が他人(相手)の考えや他人の主体と共にする』と定義されます。
主体とは性格や価値観、動機といった内面的な要因のことをいいます。
つまり自分とは性格も価値観も違うのが他人であり、それを認めつつ共存するということです。もちろん自分もそのように和手に尊重される状態です。
この理想に近づく道が、これまで述べてきたプロセスです。自分を理解して、さらに他人を理解して受け入れ、自分と相手の相違を明確にしたら、それを口に出してコミュニケーションする。こうして相互理解が成り立つのです。




